減欲生活

煩悩の塊のおじさんの雑記

~ せっかちで継続が苦手な三日坊主オヤジの道標 ~

仕事と収入

生きていくためにはお金が必要だ。
自給自足と言うわけにもいかぬ。
「仕事」は、それ自体が生きがいということもあるが、
一方で収入や稼ぎを得る手段だ。
「仕事」の種類や形態は、どこかの組織に所属し雇用されるか、
フリーランスも含め自営か事業を行うか。
「仕事」の職種も様々。
現代では、YouTuberのように新しい「職種」もある。
少し前までは、コンピューターも無いため、プログラマーなんて職業も無かった。
時代ともに新たな「職種」が現れる。職種という表現ができないものも次第に出てくるだろう。
「働き方」も変わってくるだろう。ライフワークバランス。
働きすぎて心身を壊したら良くない。
それ以上働けなくなり、本来の目的が達成できない状況になる。
仕事が生きがという人はいいが、多くは生活費を稼ぐために望まない仕事に就いたり、
自営か事業を行い稼いでいるのが現状だ。

「仕事」=「収入源」

そこに生きがいや働きがいはないことはないが、
困難や苦労のほうが多く心理的な負担が大きい。
ネガティブな方の打ちのめされ感のほうが強い。
(好きなことに打ち込んでいるときのものでなく)
テルマエ・ロマエ」の作者であるヤマザキマリさんが
著した「仕事にしばられない生き方」を読んだ。
面白かったし、勉強になった。
大変な苦労してきたことが窺える。
本書は、仕事とお金についてヤマザキマリさんが
どうつきあってきたかを書いた本です。
でも彼女の半生の物語、自伝にも読める。
それを「ツール」に伝えたいことがあったのだと、
アウトプットして達成したいものがあったのだと思う。
最初っから「漫画家」(職種)になろうと目指してやってきたわけでなく、
むしろ困窮した生活のなかで「どう生活費を稼ぐか」を身体と張って、
生活と苦闘しながら考え、「勝ち取った仕事」と言える。
本書の中で言及されているが、自分が好きか嫌いかではなく
「自分ができるこどで稼げること」を選び全力を尽くした結果の「収入源」だった。
やりたいことがたくさんあって仕事になったとしてもそれはそれで大変なんだと。
お金が無くては困るが、仕事が多く舞い込み、断れないのも辛い。
自営業やフリーランスだと、仕事が無くなってはいけないと思い
たくさん仕事が来たとき、無理してやってしまう。
もちろん、就職したての時も、新しい環境でよくわからないから張り切り過ぎてしまうのもある。
一時的なことなら頑張れっても大きな問題はないが、
それが長く続くと辛い。
テキトーにできるといいが難しい。
適当に気合い入れるってのはね。
「いい加減」「バランス」「調整」口で言うほど簡単ではないなぁ。
岐路や選択に迷う時は、「俯瞰」し客観的に見て判断することが大切と著者は言う。
その通りだと思う。
人間どうしても、追い込まれると視野が狭くなりがち。
自分を客観視するもう一人の自分を持つことや信頼できる人に相談することだ。他力もオッケー。
仕事を選ぶ際に、とりあえずやってみることだと。
たとえそれが好きでなくても、自分の性に合っていれば続けられる。
好き嫌いは後にして、やってみてダメだと思ったら、
気持ちを切り替え次に行けばいい。
やってみないとわからないことがある。
「潮目を見る力」を持ち波に乗る。
思い切って挑戦する。
波を見逃さない。
「手」と「足」を諦めずに動かしていれば、そのうちチャンスが来て
なんとかなるとヤマザキマリさんは励ましている。
今いる場所がどうにもならないなら、ドロップアウトも一つの手だと。
「間違っても、仕事と引き換えに、命を差し出すな」と注意喚起している。
疲れたら、ひとっ風呂浴びて、ゆっくり休んでから、それぞれの持ち場で頑張ろうと。
自分のやり方で精一杯生きてみること。
そして、人生は面白がった者の勝ちであると。

痩せ我慢と言われかもしれないが、
細やかな楽しみでも結構。
人は人。自分が愉快だったら良い。
お金を掛けないでも楽しめると良い。
宇宙には行きたいが、金持ちのようには宇宙には行けないけど楽しめることはある。
儚く短い人生、楽しんだ者勝ち(人生勝ち負けではないが)。

自分は、収入源が、「仕事」という「表現形式」や「言葉」に当てはまらなくてもいいから、
自分にできることで、合う方法で続けられる「もの」があると良いなと思い今取り組んでいる。

19歳の時に大学を中退した。
家庭の経済状況の問題と何より自分自身が学業で行き詰まっていた。
既定路線から道を外れたことの喪失感が襲ってきた。
視野は狭かった。
当時付き合っていた人がいた。
とても素敵な人で結婚もしたいと強く思っていた。
しかし、金がなかった。
焦っていた。
実家にもどりもがく日々。
中途の高卒では、いい就職先はなく、どこで勤めても手取で20万円はとても貰えない時代だった。
給料は安く生活が困窮することは目に見えていると勝手に希望を見出せず、
無理に別れた。
「金」がないから別れたと
そう思ってきた。
ヤマザキマリさんのこの本を読んで
気付いたのは。「金」がないからではなく「稼ぐ能力」が無かったこと或いは金が無くとも生きていく「覚悟」が無かったことが問題だったのだと。

何をやって稼いだらいいのか、どうやって生きていったらいいのか見失っていた。
自分というものが、「芯」が無かった。
自分のコンパスが無かった。
流されるまま生きて来たのだ。
たまたま調子よく乗れていた「波」からワイプアウトしただけで、
たちまち混乱していた。
ちょっとして間違いや失敗で落ち込み、ちょっとの達成で慢心した。
慌てず落ち着いて、冷静になり、幽体離脱して、
もう一人の自分で「自分」を客観視すべきだった。
平常心。中庸。ニュートラル。自然体。

人間は、追い込まれたり、焦る状況にいると冷静な判断ができない。
せっかちな自分が、自分を追い詰めていた。
その様な状態では、適切な目指したい道を選ぶことが出来ない。
自分からは成功していたと思う著名人や活躍していたと思う芸能人でも自ら命を絶つ人もいる。
天才と称されたニーチェでさえ晩年は悩み苦しんだ。
逆境の時こそ、自分の真の力が試される。
それを乗り越えていくことで成長できる。
難しいことだが、平常心を保ちつつ、自分を追い込むこむことなく鼓舞していくこと。
自分の場合、「金」が無かったことが問題では無く、平常心を失ったこと、自分の目標に向かう「決意」や「覚悟」が無かったことが問題だった。
または、「情熱」。
これらがあればどんなこともBreakthroughしていける。

成功ではなく、成長すること。
お金持ちになることを目指すのではなく、
身一つでお金を「稼ぐ力」や「生活力」を培うこと。
自分で、「自分の人生を切り拓いていく」という決意や覚悟を持ち実践していくこと。
ヤマザキマリさん、田坂広志さんや岡本太郎さんの生き方が、そのことを教えてくれた。

急いたり焦ってはいけない。
「急がば回れ」ということばがある。
そこで踏ん張り、
1ミリづつでいいから前へ
自分にできることに全力で取り組む。
やれることに集中する。
やり始めたら工夫を重ねていく。
「自分らしさ」というのはそういうことの中から築かれるものだ。
「自分らしさ」は、そのものを探して求められるものではない。
求めるものでなく、自分が創っていくもの。
大事なの事は、自分らしさなんかではなく、
自分がどう生きたいか、どう今を生きるかだ。
答えは、自分の中に既にあり気付いていないだけ。
または、実行しようとしないだけだ。

- ローマは一日にして成らず -

イチローさんは階段を登るときも、野球のことを考えて登ると言われる。
全てを目標達成のために集中する。
ちなみに、イチローさんがすごいのは、賞を取るためでは無く、
「野球が上手くなる」この一点が目標とのこと。
目標は何だっていいが、単純明快が最強だ。
その他のことや周辺の出来事は一切無視できるからだ。

人事を尽くして天命を待つ。
そのように、あの頃の、
ただ闇雲にもがいていた自分に伝えたい。
いや、今の自分に言うべきだ。
過去には戻れないのだから。

なんとかなる。
そのためには、一歩前に進むこと。

誰でも、自分にとって「これだけは手放せない」という大切なものがあると思う。
自然体でなんとかする自分がいれば、なんとかなっていく。
自分が持つ考え次第で、自分の気持ちや言動が変わる。
他人を変えることはできないが、自分は変えられる。
前向きになることで、人生は拓いていく。

参考 「やりたいこと捜しで永遠無職の底辺に失敗小僧さん