減欲生活

煩悩の塊のおじさんの雑記

~ せっかちで継続が苦手な三日坊主オヤジの道標 ~

「時」は、旅人。

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」

中学校の国語の授業で、奥の細道が取り上げられ、
その「旅立ち」の冒頭文に当時の自分は、大変感銘を受けた。
その文章の背景にある作者の隠しきれないさりげない「哲学」が、自分を圧倒した。
それ以降今に至って、この冒頭文は忘れることはない。

生きることの何をかを自分に伝え続ける。この時代の平均寿命を思うとなおのこと。
ある一人の人間が持つ、生活様式、生き様や自分の芯にまで染み込んだ哲学とは、
どういうものかを示す手本だ。

この歳になって、「月日が永遠の旅人」という表現が、なんとも、
「わび」「さび」を超えた究極の捉え方としてこころに沁みる。

心身健康である限り、「時間」は生物にとって最高価値だ。

時間と意欲があれば人は生きていける。
意志の効く「時間」がないと、或いは死期が目の前に近づくと、
人はポジティブに進めない。

そして、時間の長さは一定でない。
単に相対性理論で示された物理学上の意味だけでなく、
人やその時の状態によって時間の濃度や密度が異なることで
その価値が相対的であると感じる。

自分が決めた目標に向かって前向きに精進を続ける人や
自分の時間を大切に思いじっくり使っている人と、
他人や組織に乗せられて忙しく生きている人と
では時間の価値が違うと思う。
「目標」の有無と同様、どんな時間を過ごそうとそれは個人の自由だが、
今は「時間」の大切さが身に沁みるので、
三日坊主ながら自分は、まだそれなりに、こそっと「あがき」たい。
As Time Goes By
また、自分が今よりもっと高齢になって、
厳しい旅をする体力や意欲が残っているだろうか。
今でも、身体の体力が衰え、節々に違和感を感じるのに、
歩きで山賊もいそうなところを歩いて行くだろうか。
寒い日は、気持ちを萎える。
歩き旅であり現代に比べ荷物もそんなに持たないだろうから
究極の手ぶら旅スタイルだ。
どこに行こうと身一つでやっていける力があるのだ。
(キャッシュカード、クレジットや電子マネーもない時代
お金はどうしてたのかな。)

いろんなことがあったなと感傷に耽る過去も、
「今」は取り戻すことはできない。
過去はない。
今があるだけ。
今を生きて、今を楽しむ。
何もしないと、この「今」が死ぬまで続く。
下手すれば今以下に。それは、今が楽しめていないと辛い。
将来を変えたいならこの「今」を変えるか成長するしかない。