減欲生活

煩悩の塊のおじさんの雑記

~ せっかちで継続が苦手な三日坊主オヤジの道標 ~

平凡人の独り言

トレードをやっていると各先物、株価や為替などの相場が
大きく下落していく局面がある。
9.11のテロやリーマンショックのときなど大きく下落し、
相場は停滞した。

確かに、下げ相場の影響で、働いて給料を得ている場合は、
その給料や収入が下がると
苦しい生活を余儀なくされるかもしれない。

相場が下がると収入が下がってしまう傾向にある人は
悪影響があろう。

物価が上がりインフレになっても生活は続く。
その維持にはそれなりに消費がある。

自分のように、収入がないうえ、普段から質素な生活をしていると、
これ以上切り詰めるのは大変だ。

一方で、不思議に思うのだが、自分の様な例外を除き、
この地域の様子を見ると、多くは生活や仕事に大きな変化は見られず
昨日と大差なく過ごしていそうだ。
表情も相場が下がって暗くなるとうことはない。
農業水路が詰まることのほうが余程困る様子(笑) 。

自分の住んでいる地域では、郊外の田舎であるからかもしれないが、
これまも、下げ相場による影響を直接大きく受け
生活が途端に窮したという話を聞いたことががない。
何人かは悪影響を受けたのかもしれないが、大勢に影響はない様子。
普段どおり、作業、仕事に、学校に、多くの人が変わりなく向かっている。
田舎なので、農地があり、ある程度畑や水田で自給できる背景もあろう。
スーパーの人出も大きな変化がない。

相場がどうなろうと、人は生活がある。
円安になると、輸入品が高騰するが、
それでも日常生活に必要なものは購入する。

生活は継続的な衣食住の上にある。

働けば腹が減る。
自分のように机の前に終日座っているものでも腹は減る。
食料や燃料を買う量が大きく減るわけではない。
まあ、高い食品や贅沢品は買い控えるかも知れないが。
それでも、田舎では、車がないと生活に支障をきたす。
車が壊れば修理や買い替え需要もある。

その違和感を自分は感じる。

ヘッジファンドや資本家が大きなお金を動かし、
経済を動かしている。
同じお金を使っているのなんと大きな乖離。
自分の生活水準なら、
彼らからすれば吹けば飛ぶようなお金で生活できる。
不思議な感覚を覚える。

平凡人の幸せな生活について。

質素を無理に心がけなくても、
それほど欲がなければ、
そこそこの金額で生活できる。

観察力、感性や空想力或いは妄想(笑) を
発揮することで、ささやかな幸せを感じつつ
日々を過ごせる。

自分が制御できることとできないことを判別し、
できないことは諦める。

他人と比較するのでなく、昨日の自分と比較する。
自分の成長に喜びを見つける。

今生きていることに感謝の気持ちを持つ。

偉人のように、歴史に名を残すことを何一つ、
していなくても卑下しない。

自分の楽しみを見つけ、平凡に生きる。

派手に生きることだけが成長ではない。

地味でもコツコツ成長していく自分を
時に失敗し、挫折し、心折れ、
もうダメかもしれないと、
打ちのめされても、
また、柳のように、
しなやかに現実を受け止め、
むっくり起き歩きはじめる。

失敗やうまくいかない時、
人は孤独を感じる。

これからさきどうしたらいいかわからない。
パニックの状態になる。

予め、自分がこの様な時に陥ったら、
この気持を切り替える、
手段を見つけておくといい。

落ち込んでいても現実は変わらない。
一つ一つ問題を解決していくだけ。
慌てず、焦らず、コツコツを積み重ねる。
間違っても、一発逆転を目指してはイケナイ。
そんな実力がないから失敗しているのだから。

ぼちぼち行くしかない。
この状況をいつか笑いや成長の糧になっと
思い返す日が必ず来る。

平凡な人間にも、山あり谷あり。
全ての原因は、自分にある。
自分が選択してきた結果が今の状況なんだ。

平凡オッケー。

以下少し、凡人妄想証明。

もし、自分が大きな収入源を持ち、金持ちになったとする。
ニューヨーク5番街近くの高層ビルに部屋を持ち、
上から見下ろし、この街の人は自分のために、毎日働いているのだと。
毎日、豪華な食事と、優雅なパーティーなど綺羅びやかな日々。
それでどう?。これが日常になると当たり前となる。
人間は刺激を求める。それはとどまることを知らない。
結局それが日常になった時点で代わり映えのない毎日に成り下がる。
南の島で、毎日、ビーチを見ながらリゾート気分で過ごす日々。
それも日常となれば同じことで花だろうか。
このような妄想から最低限の生活ができるなら、
平凡オッケーとなる。

平凡生活でも気にしない。
無職無収入の今は平凡以下かもしれないが、
無理しない。
今を楽しむ。

今度のゴールデンウィークに同級生と会う予定だ。
高校を出て、40年が経とうとする。
お互いいなくなるまでにあっておこおうと(笑) 。

今日までなんとか行きてこれただけでも感謝だが。

その頃は、こんなことになろうとは誰も思いしなかっただろう。
高校生の頃は、ひたすら未来に向けサボりながらも努力していた。
胸いっぱい、希望を持って過ごしていた。
60歳前の人間なんて、大人というより、老人に近い感覚で、

さぞ人生経験豊かで、それなりに達観できている状態なんだろうと
勝手に想像していたが、
今の自分の状態を見ると、ヒジョーに心もとない。

確かに経験しているが人間的に成長しているかと思えば、
残念ながら、たいして成長していない。
むしろこんな調子で死んていくのかと思うと、
物足りない気がする。

体はあちこち傷んでくるし。
体力の低下とともに意欲も下がりそうになる。 
自分だけだろうか。
みんなに会って確かめてみよう。
楽しみだ。 

とりあえず、みな今日まで生きてきたということ。

これまでの自分を総括すると、
もがいた割に、生活でいっぱいだった。
何も残せるようなものは無い。
まして人の役に立ったことも少ない。
ほんと無いな~。

それでもよしとしよう。

今挑戦はしている。
トレード。
うまくいく目処は立っていない。
失敗の連続。
そんなのは無理じゃねー。
周りの目が言っているような錯覚がある。
さらに、浮かぶ目処がないので不安はある。
でも、足りないところもあるが、
それなりに取り組んでいるつもり。
この過程を楽しめるともっといいと思う。
気持ちが大切。

平凡人よ。
ぼちぼちいこう。

別居中の妻(かーちゃん)も元気そうにしている。
息子の世話をしに日曜日に少しやってくる。

相場の動きに関係なく過ごしている。
面白いな~このしくみ。

さて、今夜、日曜の夜は、NHK大河ドラマがあるな。
楽しみだ。

いつの時代も人が生きていくのは大変だな。

社会が発展しているなら、もっとみな気楽に、
楽しく生きられる社会状況になってもいいと思うが。
相変わらず戦争も起きている。
悲しく寂しい限りだ。

現実もドラマで放映される戦国時代と変わらない。

月曜からも平凡人は、びびりながら
よろよろいくのだ。

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平凡なことを、
毎日平凡に実行する。
これを非凡と呼ぶ。

アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッド(Andre Paul Guillaume Gide)